朝鮮通信使・三島宿ウォーク

 1608年から1811年まで12回続いた「朝鮮通信使」は、東海道を往還したため、三島には本陣跡、三嶋大社、宋閑寺、そして松雲寺をはじめ、通信使に関わる様々な文化資源が数多く残っています。今回は、郷土史研究家の鈴木勝彦先生を案内役にお招きし、三島宿、そして東海道最大の難所と言われた箱根の石畳などを歩きながら、通信使の歴史について学びました。

 総勢28名は、まず楽寿園(楽寿館)を訪れ、李氏朝鮮の最後の皇太子・垠殿下の別邸とされた歴史を伺い、更に長円寺では、第四回朝鮮通信使が三島に宿泊した際、長円寺の住職との間に親しい交流が生まれ、後に朝鮮通信使から「数珠」と「袈裟」が贈られたと伝えられたという話を伺いました。また長円寺の門は、かつて朝鮮通信使が宿泊した世古本陣の門とのこと。その世古本陣跡を巡り、三嶋大社を参拝した後、バスで山中城址に向かいました。

 箱根旧街道では、まず朝鮮通信使が休息をとったという宗閑寺を訪れ、山中城址に移動した後は、二の丸の芝生で、三島名物うなぎ弁当を広げながら、鈴木先生の話に耳を傾けました。

 そしていよいよ箱根石畳ウォーク。一行は、旗を先頭に、長い石畳を下っていきました。その昔、滑りやすい関東ローム層の赤土の道を少しでも歩きやすいものとするため、まずは竹を敷いた歴史があるとのこと。先人達の苦労が身にしみる思いでした。街道脇に設けられた一里塚などを経て、松雲寺へ。ここも朝鮮通信使の休憩場所として使われた歴史があります。李氏朝鮮より日本に伝わった高麗茶碗(三島茶碗)で静岡茶をふるまっていただき、一服したところで、1日のプログラムを締めくくりました。前日の天気予報では、降水確率80%とあり、空模様が心配されましたが、爽やかな秋風のそよぐ中でのウォークとなりました。(静岡県委託事業)